以下の点に注意してこのページを見ていきましょう。
絵本を語る人、ナレーターや観察者はどの位置から見ているのかを意識して翻訳しましょう。語り手は、離れた位置から眺めて実況中継のように語っているのか、登場人物の一人なのか・・・訳者の視座を一貫することが大切です。
この翻訳の場合は、第三者の視点で、進めています。
① P.13のポイント
視座を確認しておきましょう。
このページは、欧州の公衆トイレをよく知らない人に、それを紹介するシーンを想像してください。
使うときには注意が必要ですと、まずお話をし、トイレの方にカメラが移動し、離れた位置から、「トイレを使っている人をご覧ください。あの人は・・・こうしましたね、あっ、あの人は・・・しました。別の人は~を触っていましたね。あまり清潔でないので注意しましょう」というように、離れた位置から実況中継しているような場面です。
第1ブロックは、LES TOILETTES PUBLIQUESは、公衆トイレです。IL FAUT+動詞の不定詞は「〜する必要がある」の文型です。
公衆トイレを使うときは、(いろんなものに)触らないよう注意しましょう。
第2ブロックは、DERRIÈRES がポイントです。DERRIÈREは“~の後ろに”“・・・に続いて”が一般的です。が、ここではDerrièreは“おしり”のことで、特に、“S”がついていて、複数の人々のおしり、となります。
おしりは、辞書を見るとfessesとされますが、一般に使わないほうがよいと思います。やや汚い言い方、日本語では“ケツ”といったように聞こえます。
LUNETTEは、複数形では“眼鏡“ですね。この場合は、“便座”を示しています。
たくさんのおしりが、便座に座っています。・・・と言うことですね。
そして、洗面台もいろんな人が触っている。床も汚くなっている、と展開されます。
最初は、現在形で、(一般的に)注意しましょうと、呼びかけておき、次いで、・・・した、・・・した、・・・した、と複合過去形を使い、行われた事実を、観察者の目で書いています。
視座を強調しているのは、他のページの場面では、その中にいる立場で書かれているシーンもありました。街は広いので、自分が潜入しているときもあれば、離れた位置にいるときもあります。
この絵本は、ページを繰るたびに、少しずつ視座がずれていくところがおもしろい。
ただ、この視座の移動を読者にわかるようにしておかないと、混乱した訳文となります。
② P.14のポイント
PARCE QUE C’EST ÉVIDENT
前ページでは、入れ替わり立ち替わり、人々が公衆トイレに出入りするようすが描かれています。ここからは、その理由の説明です。「だって、それは言うまでもないけれど」のそれが、前ページの内容を示しています。
LES AUTRES BOUGENT BEAUCOUP,
他の人たちはとてもよく動く・・・休まず動き回る
ILS DOIVENT BIEN S’ARRÊTER POUR SE SOULAGER
ils doivent は、〜するに違いない bienはていねいに言ったり少し強調の気持ちがあるのでしょう。
se soulagerは、間違いやすいか所です。「用便をする」の意味。辞書のsoulagerを引くと“気を落ち着かせる”があります。この場合 se~を調べましょう。
「忙しいけど、トイレをせざるをえないから、仕事やその他、動き回るのをしばらくやめて、立ち止まらずをえないのです」ということでしょうか。
このおしっこなどをする場所が、次にあげられています。公衆トイレや木の陰や人目につかない場所であったり・・・とあります。
さて次の最後の行、この絵本でもっともむずかしいところです。悩みました。
C’EST TOUJOURS PLUS SALE QUE QUAND C’EST NOUS.
この訳で、多かったのは「私たちの(する)場所よりその場所はより汚い」と訳すケースが多いようです。しかし・・・
C’est nous は場所を示してはいません。quand nous le faions 私たちがそれをするのは・・・と言うことが込められています。
これをまず、直訳的に訳してみると、「私たちが、用を足す時より、それはいつも汚い」となりますね。
次に、「他人がトイレをするのは、概して、自分の時より汚い」と考えました。
そして最終的に「他の人がトイレをするのは、自分のときよりずっと不潔に感じる」としました。
自分より他人の行為を見たら汚く思う・・・という心理が書かれているのでしょう。
- フランスのトイレ事情をご紹介しておきましょう。
便座の腰掛け部が外れている、もしくはないものが多いです。デパートなどで済ませておきましょう。
- 都市部では、丸い形をした公衆トイレを見かけます。使用後、丸洗いをしますので、まあキレイですが、壊れているときもあります。無料でティッシュもありますが、念のため用意して入りましょう。扉の開け閉めは落ち着いて!
- 日本ほどトイレはありません。マクドナルドには必ずあるはず。レシートには、トイレに入るドアのコードNOが記載されています。
- いずれにしても、すべて日本ほど清潔ではありません。用を足せればラッキーと思うべきでしょう。(ラテン各国はこんなものかな・・・。あまり高級な所に行ってないので、すてきなトイレにまだ出会えていません)
③ P.16のポイント
この絵は、ビルの7階ぐらいから、他のビルの窓から中の様子を見て、描写し解説しています。
1行目です・・・
LES AUTRES CONDUISENT DES MILLIERS DE VOITURES
des milliers de ・・・は、“いく千もの・・・”と言うことですが、千という数字を正確に出さなくても、いいのではないでしょうか、ただbeaucoup de・・・よりは、はるかに多い感じがします。“おびただしい数の”としました。
おびただしい数の車が走る光景でしょう。
5行目の動詞は、命令形ではなく、動詞éplucherの、主語ilsに対するépluchentです。「人々は、たくさんのりんごをむきます」となります。
後半のブロックは、この絵本の主張したいところでもあるようです。
全文で考えてみましょう。
ILS FONT CE QUE TU FAIS,
彼らは、君のしていたことをする。=他の人も同じことをしている。・・・としました。
MAIS ILS SONT PLEIN À LE FAIRE.
maisは、前の行に反して・・・“いやはや、まったく”と言うことですね。
そしてpleinですが、ここではnombreux(数多くの)と置きかえられる形容詞と判断しました。しかし問題があります。もし形容詞なら、主語の性・数に一致し、pleinsとなるところです。
この問題は、出版社を通じてフランス語訳者に質問します。回答が届いたら、あらためて掲載します。
“いやはや、まったく”それを(同じことを)する人がたくさんいるのです。
≪出版社のCambourakisから回答が届きました。訳者ではなく、編集者からの回答です。≫
Il me semble qu’ici, « plein » n’est pas employé comme un adjectif, mais comme un déterminant indéfini, on pourrait d’ailleurs le remplacer par « plusieurs ». Dans ce cas précis, « plein » est donc invariable.
「この場合、pleinは形容詞ではなく<不定限定辞>として使われていると思われます。そのため性数によって形を変えません。このpleinは、plusieurs(何人も)と置き換えられます。」
辞書には、pleinで適切な例が見つかりませんでしたが、plusieursでは、次の例文がありました。
大修館書店「新スタンダード仏和辞典」第7版より引用します。
– Tu viendra seul ? 君一人で来る?
– Non, nous serons plusieurs. いや、何人かで行くよ。
日本語訳として “いやはや、まったく”それを(同じことを)する人が、たくさんいるのです。 と紹介しました。Plusieursの「何人もいるのです」と同じ意味です。
では<不定限定辞>とは、何でしょう?
カナダのCentre collégial de développement de matériel didactiqueのサイトでは、次のように定義しています。「不定限定辞は、(一般に)名詞の前に置かれ、ばくぜんとした数量を示します」。代表的なものとして、chaque, plusieursが挙げられています。
フランスの雑誌 Le nouvel observateur のサイトL’OBSでは「不定限定辞は、ひとやものについて、数値で示されない、ばくぜんとした数量を示します。具体的には(tout, aucun, chaque, maint, nul, plusieurs, tel, quelques, divers, différent, certain…)など」
次に進めます。
ET ILS LE FONT À LEUR FAÇON,
leur façonの、leurは所有代名詞ですから、“彼らの方法で”。
ですから、「彼らは自分の方法でそれをします」と言うことですね。
À LA FAÇON DES AUTRES.
そのやり方は、人それぞれだ。・・・と繰り返しています。
自分(もしくは君)がするように、車を運転する人も、封筒を開ける人も、リンゴをむくひとも、世の中にはいっぱいいる。でもそのやり方は、人それぞれちがっていて、自分流があるということですね。
④ P.17のポイント
向こうに海が見え、海水浴場のシーンが描かれ、手前がレストランの中、テーブルが並び、食事する人々がいます。
IL ARRIVE QU’ON LES VOIE PIQUER UNE TÊTE DANS LA MER JUSTE APRÉS AVOIR MANGÉ.
1行目のarriverは決まり文句です。il arrive que +接続法で「que以下のことが起こる、ある」の意味になります。
on les voie(voirの接続法三人称単数の形)のlesは他の人々をさしています。
食事のすぐ(juste)あとで、人が海に飛び込む姿を見ることがある。
OU RÉPONDRE~
Ouが文頭にきて、répondreが原型ですので、1行目の、ON LES VOIE+inf.からの引き続いた文章と見抜きます。
電話で無愛想に答える姿を見ることがある、となりますね。
⑤ P.18のポイント
ピザ屋さんのà la table d’à côté「隣り合うテーブルで」となります。
テーブルが、接近して並ぶイラストが描かれていますね。
笑ったり、会話したり・・・友達同士や、恋人たちの様子が書かれています。
TOUT LE MONDE SAIT QUE CES CHOSES-LÀ NE NOUS REGARDENT PAS,
tout le monde sait que= que 以下のことは、みんな知っています・・・と言うことですね。
ces choses-là=そんなことを・・・ どんなことでしょう?
最初の3行目までに書かれている、他のテーブルにいる人たちが笑ったり、話したり、もめたりしている話題(話の中身)のことでしょうね。
そんな話題は、自分たちにはne regardent pas(関係がない)と知っている、となります。
CE SONT LES AFFAIRES DES AUTRES,
それは、他人の話題なんだ。
ALORS ON ÉCOUTE ENCORE UNE MINUTE, PUIS ON REVIENT D’UN COUP À NOS AFFAIRES À NOUS.
alorsは「そんなわけなので、そこで」といった感じです。
on revient d’un coup・・・突然・・・àの方に戻る
nos affaires(私たちの話題)は、数行前のles affaires des autres(他人の話題)と対立するものです。“我々が、さっきまで話をしていた話題”です。
「そんなわけで、しばらくは他人の会話を聞いているけど、そのあとは急に、自分たちの話に戻ったりする…」 そんな感じでしょうか。
この最後のブロックは、日本語にするのは骨が折れるところですが、描かれているシーンは、日常生活で見かけたり、思い当たることがありますね。
このNO.3の原稿は、2015年7月15日に書いたものです。
この絵本の解説と他の絵は:http://www.illust-euro.com/?m=201503&paged=4
この絵本のお取寄せは:http://illust-euro.ocnk.net/product/221
次回 NO.4は、P.19からです。