イラスト・ユーロ 翻訳クラブ

Les autres 5

パリで見つけた絵本の〈翻訳クラブ〉 par 泉りき

テキスト Les autres NO.5  P.23 〜 P.26

les autres9-700

 

 

絵本を翻訳する場合、わたしは、絵をじっくり見ます。文章で分からない時など絵の中にヒントが描かれていることが多々あります。

この絵本は、比較的、絵と文が近いと思いますが、絵本によっては、本文と無関係な絵が描かれている場合もあるし、反対に挿絵か補足説明のような絵本もあります。いずれにしても、絵をよく見てください。

 

① P.23のポイント

「人々は、常に動き回っています、で、時々、一休みします」
としましたが、「動く」に対して「(立ち)止まる」にしてもよいでしょう。

 

② P.24のポイント

1行目は、ベンチに座り、道ゆく私たちを眺めています。

次のブロックに移ります。

C’EST ALORS QU’ILS PEUVENT VOIR COMMENT NOUS SOMMES :

c’est alors queは、上の文章を引き継ぎ、「だから」という感じでしょう。

「だから、わたしたちがどんな人なのか、わかるのです。」

comment nous sommes は、「わたしたちがどんな外見、ようすか」ですね。

行の後ろに:(コロン)があります。先の文章を具体的に説明する、例を示す、定義するなどの役割があります。

ここではCOMMENT NOUS SOMMESを、描写しています。

「私たちは、たくさんの頭を持ち、たくさんな足、そして臭いをもっています。」このフレーズ以下は、この絵本の冒頭のシーン(P.1)に出てきましたね。

P.1での書き方は・・・

ILS ONT PLEIN DE TÊTE, PLEIN DE PIEDS, PLEIN D’ODEURS.

となっており、主語はilsでした。

ここでは・・・

NOUS AVONS PLEIN DE TÊTE, PLEIN DE PIEDS, PLEIN D’ODEURS.となり、主語はnousになっています。

P.1では、見られている側は、“彼ら”つまり、les autresでした。が、このページでは、見られている側は、“私たち”となっていて、見る側が“彼ら”つまりles autresです。見る側とみられる側が、逆転しているのですね。

以下に続く、いろんな体型の人、いろんな服装の人々のシーンも、見る側・見られる側が逆転しています。

ON DIRAIT QU’IL N’Y EN A JAMAIS DEUX PAREILS PARNI NOUS,

この行も、P.2に出てきましたね。以下のようにお話ししました。

ON DIRAIT QU’IL N’Y EN A JAMAIS DEUX PAREILS.

ON DIRAIT QUE~のDIRAITは、条件法ですから、「ということことだ、…らしい」と推測の表現でよく使われます。JAMAISは、NE とセットで否定を表します。

ENは、前ページのPLEIN DE TÊTE, PLEIN DE PIEDS, PLEIN D’ODEURS を示している代名詞でしょう。

直訳は、二人として同じ人はいないようだ。ただ「二人として同じ」は、日本語としては「(誰)一人として※」となります。

ただし、このページでは、最後に、parmi nousがついていますので、“私たちだって”となります。

「私たちだって、1人として同じ人はいない」ということでしょう。

MAIS IMPOSSIBLE DE NOUS VOIR TOUS D’UN COUP, NOUS SOMMES TELLEMENT NOMBREUX.

ここも、絵本の冒頭の表現と同じですね。主語が省略されているのも同じです。

いろんな人がいることは一瞬にして分かるが、各々を見分けることまではできない。どうしてかというと「私たちは多すぎて」ですね。

 

 P.25のポイント

最後の見開きです。通りがあり街が描かれています。左上に、山が描かれ、その山頂からふたりの人が街を見下ろしています。

ET C’EST SEULEMENT SI ON SE SERRE TOUT PRÈS LES UNS DES AUTRES

ここまでが、ひと固まりですので、まずここを見ましょう。

si〜は「もし〜すれば」です。

seulement siは「ただ〜しさえすれば」となり、現実にはあり得ない、仮定の表現として使います。

les une des autresは「互いに」。前の文章から、「互いにもっと近寄れば・・・」となります。

QUE DE TRÈS HAUT DANS LE CIEL, ILS POURRONT TOUS NOUS VOIR DU MÊME COUP.

このqueは、siと置き換えてください。queは、先行する接続詞(句)の代わりに用いられることがあります。具体的にはsi quand parce que などの代わりをします。

siで置き換えた文章の一例を書きます。s’ils voient de très haut dans le ciel.

となります。が、後ろの行に動詞voirが使われているので、主語・動詞とも省略しているのでしょう。

Ils以下の文章は、si以下の内容を行った場合の、ありえる結果を表します。

本文5行は、次のような訳文に置き換えられます。

「もし…してみれば、さらにもっと…してみれば、~できるだろう」

「もし互いにもっと近寄って、さらに高いところからながめたら、彼らは、私たちすべてを、一度に見ることができるでしょう」となります。

MAIS PEUT-ÊTRE QUE DE LÀ-HAUT, ILS NE REMARQUEONT PAS LES NATTES, LES BOUCLES, L’ÉCHARPE OU LA CANNE, NI NOTRE MANIÉRE DE PARLER, ET NOS VÊTEMENTS NON PLUS.

しかし、そんな高いところからだと、気がつかないだろう。

何に気づかないのかは、それぞれの人の話し方や服装についてですね。

この絵本の冒頭に出てきた具体例を、ここに再度登場させています。

 

最後のページです。

ET PEUT-ÊTRE QU’ILS PENSERONT :

ここでも、peut-être queが出てきました。繰り返しをいやがるフランス語ですが、いよいよクライマックスですから、文章を感動的にしようとの意図のようです。訳としては、「たぶん〜だろう」です。

「たぶん彼らはこう思うかもしれない」(何を? 次の行からです。)

次の行からは、二人の会話のように思います。

もしくは、そのように読むと、わかりやすいでしょう。

TU VOIS COMMENT ILS SONT?

ILS NE SONT PAS COMME NOUS, ILS SONT TOUS PAREILS.

1行目、一人目の人の声・・・

「彼らは(les autres)、どんな人かわかる?」

2行目、別の人の声・・・

「彼らは、私たちとは違うね。で、その人達はみんな似ているね。」

前のページで「高いところから見れば、そこにいる人々はほぼ見えるが、それぞれの違いまではわからない」とありました。

これは、ページ左上に描かれた、山の上の二人の会話のように思われます。また、筆者が読者と会話をしている想定で、書いているようにも読み取れます。

このように解釈したらいいのでしょうか。

「自分以外の人(世間の人=les autres)は、自分とは違う。(そして)自分以外の人は、みんな同じ(その違いはわからない)だね」

 

≪最後に≫

最後まで読んできて、なんだか拍子抜けされた方も、多かったのではないかと思います。
結局、こんなところにもどり、結末がない問答だったのかと。

日本の絵本は、ハッピーエンドが多いですね。フランスの絵本も、大半はそうですが、このように、「ここからはあなたが考えるのよ」と読者に次の展開をゆだねてしまう終わり方もあります。

「では読者のあなたへ。世間の人たち(les autres)とは、どんな人ですか?」と投げかけて、終わらせたようです。

■私は、こんなことを思いました。

発端は、私たちが世間の人を観察するところからはじまります。途中で反転し、彼らが、私たちを見ていたら、どう映るのかを探り出した。

どんどん“主体”と“視座”が変わって展開される。最後には、“自分”が出てきて「自分たちとは違う」とした。

この思考は「世間はどうであれ、自分は自分であるという強い自己肯定が潜んでいる(作者はそこまで、思っていないかも知れないが)。他人っていろいろいる。まあ仕方ない。自分とは違うのだから」ということかなと、思いました。

特に、公衆トイレの説明を書いたシーンの最後に、自分も尿意をもよおし、おしっこをどこかでするのに、他人の同じ行為が汚く見え、自分のそれは汚くないような記載がありました。前述の考え方が、よく表れています。

この絵本は、フランスでは、5〜6才から適していると販売されています。字が読めなくても、大人が読み聞かせるのでしょう。日本では、むずかしいでしょうね。

欧州、特にフランスは大学入試に、どんな専門を選ぶにしても「哲学」があり、論述が重要なウエイトを占めます。この絵本は、自分と他人、さらには社会を考える、哲学の問答のように思えます。

長い読解・翻訳におつきあいいただき、ありがとうございました。

les autres表紙600

(2014年出版 Editions Cambourakis/仏語翻訳 Amandine Schneider-Depouhon 伊語原文Susanna Mattiangeli イラストレーターCristina Sitja Rubio)

 

この記事は、2015年7月30日に書かれものです。

 

 

お断り
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La traduction français-japonais fait partie des exercices pratiques de Honyaku Club, non pas à but lucratif, ni commercial mais juste pour apprendre la langue française.
The French-Japanese translation is part of practical exercises Honyaku Club. It is for study purpose only, not for profit or commercial.